16.レーゾンデートル

貴男が生きろという それが私の存在理由
 
      *
 
いつもの昼下がり、いつもの東方司令部。
いつもの通り、マスタング大佐は仕事をさぼって執務室から逃亡している。
ただ1つ、いつもと違うのは。
逃走した大佐を誰も探しに行こうとしない事。
 
      *
 
「親友に死なれるって、どんな感じだろう。なぁ? ブレダ
唐突にくわえ煙草のまま聞くハボックに、ブレダは腹を揺らして頭を抱えてみせた。
「ハボ〜。お前ってヤツは相変わらずストレートだな」
「知ってるだろ、それくらい」
「まぁな。そうだな。じゃ、俺が死んだと思ってみろよ」
「ンー、分からん」
即答するハボックに、ブレダは更に眉間の皺を深くする。
「お前なぁ、想像力の欠片も無いのか」
「だってお前、殺しても死にそーにないもん」
「だから、それだよ。殺しても死にそうにないと思っていたヤツが不意にいなくなっちまうんだ。それも永遠に」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
ぽかっと空白になった様な表情で、ハボックは新しい煙草に火をつける。
「そうか。……それは辛いな」
ふぅっと煙を吐き出す動作で天井を見上げたハボックは、ぽつりと呟いた。
「ああ」
返すブレダの声も、ハボックと同じくらいにトーンが落ちる。
「辛いよな」
自然に皆の視線が主のいない机に集中していた。
 
      *
 
マース・ヒューズ中佐の訃報が届いたのは、今朝早くのことだった。
前夜電話ボックスの中で殺された中佐を発見したのは、早朝の散歩をしていた老人だった。
通報からすぐに軍部に連絡が飛び、ここ東方司令部にも同時にその凶報がもたらされた。
直接の死因は胸部への銃創による失血。
他に、右肩に錐の様な鋭利な刃物による刺傷。
襲撃されたのは軍内部であり、殺害現場は屋外の公衆電話。
得意のナイフを使用した形跡はあるものの、撃たれた時はほぼ無抵抗の状態だったらしい。
しかも中佐が殺されたのは一般回線からマスタング大佐への電話をかけていた最中と思われ、キナ臭さと疑惑だらけの事件としか言いようが無かった。
 
現場検証に司法解剖が行なわれ、軍葬が行なわれるのは明後日。
いくら大佐といえども親友の死で軍務を放り出すわけにはいかず、彼がセントラルに行けるのは明日の午後となっていた。
ヒューズ中佐は大佐の親友である事もあり、東方司令部のメンバーには浅からぬ縁があった。
誰もが子煩悩で面倒見の良かった彼の笑顔を思い出し、残された家族を思った。
そして、その親友であった彼らの上司の心中を慮るのだった。
 
感情の嵐に身を任せるほど子供ではないだろうが、それなりの荒れ模様にはなるだろうという大方の予想に反して、大佐は黙々と己の予定をこなしていた。
ホークアイ中尉は黙って大佐の予定を最低限に減らしていたが、それでも外せない軍議や査察はあった。
それらを淡々とこなす大佐の姿はいつもと全く変わらぬ様に見え、それこそが逆に周りの不安をかき立てた。
いっそ使い物にならないくらい落ち込んでくれた方がマシだ、などと不謹慎にもハボックなどは考えてしまう。
恐ろしいほどの静けさの中、のろのろと時間が過ぎていった。
 
そんな大佐が午後になってペーパーワークを残してこつ然と姿を消した時、誰もが密かに胸を撫で下ろした。
いつもは銃を振りかざして大佐を連れ戻すホークアイ中尉でさえ、どこか安心した顔で空いた席に目をやったくらいだ。
誰もが心密かに中佐を悼み、友を亡くした男を案じていた。
哀しむ為の時間は誰にも必要で、それを邪魔するほど無粋な人間はここにはいなかった。
 
やがて、ようやく一日が過ぎ時計は定時を刻む。
残業は東方司令部のメンバーにとっては恒例行事だが、今日は違う。
残務と言っても今日明日に急ぐものもないのだが、誰もが帰って来ない上司を気にして何となく席を立てないでいた。
いつもと違う空気が重い。
 
「すんません。俺、先に帰らせてもらいますわ」
誰に断るでもない、居たたまれなくなったようなハボックの言葉に空気が動いた。
呪縛が解けたように、それぞれが何事も無い日常の動きをトレースし始める。
通常の司令部の空気を回復しようと無意識に動き出したかのように。
「じゃぁ、俺も。ハボ帰りにちょっと付き合えよ」
「私は証拠品の借り出しを返却後直帰します。明日以降の予定の変更も、その際報告してきますので」
「僕は通信室に顔出してきます。特に報告事項が無ければ、こちらには戻りません」
  
「お疲れ様。私はこの書類を片付けたら大佐を探しに行くわ」
書類から目を上げず、ホークアイ中尉は誰もが触れなかった上司の事をさらりと口にした。
いつもの言葉にいつもと違う重みを感じ、しかし中尉にしか出来ない事と認める男たちの四対の目が謝意を示しつつ、三々五々司令室を後にしていく。
帰り際に、ふと思いついたかのように立ち止まったブレダが言った。
「中尉、俺たちいつものトコで飲んでますから」
「ありがとう」
無愛想な会釈をして去っていくブレダの気遣いに、小さな笑みを見せたホークアイはクイッと口元を引き締め、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「さて、いつものコースで探してみようかしら」
そう、何事も無い日常の延長。
そう思わなければ、彼を見つけた時にどんな顔をすればいいのか分からなくなってしまいそうだった。
 
      *
 
リザの予想に反して、思いがけずロイはあっさりと見つかった。
射撃訓練場で射撃をしている黒髪を見つけた時、リザにとって軍部内で最も馴染みのある場所がまるで見知らぬ場所のように感じられ、彼女は胸に小さな痛みを感じた。
周囲には数人の軍人が射撃訓練に勤しみ談笑を交わしていたが、ロイの周囲には銃声だけが響く冷たい空間が形成されている。
淡々と的を撃つ後ろ姿は近づく者を拒むかのように一種異様な程の緊張感をたぎらせ、銃を持つ手は飛び散る火薬で焼け、どれだけの時間を彼がここで過ごしたかを端的に物語っていた。
その後姿をじっと見つめていたリザは、しばらく躊躇した後ロイのいるブースの方へ歩き出した。
 
そんな彼女に気付いたリザの担当教官が、ドカドカと近寄ってきて思案顔で首を振って見せた。
「すまんな、リザちゃん。お宅の上司、何度か声はかけたんだが、どうにも止められなくてな。もう少し様子を見て連絡を入れようと思っとったとこだ。助かるよ」
リザはコクリと頷き、教官に敬礼した。
 
「教官、リザ・ホークアイ中尉、射撃訓練に入らせていただきます」
「おいおい、リザちゃん。冗談はやめてくれ」
困惑を隠さぬ表情の教官に、リザは少し微笑んで見せた。
「本気です、教官。それに、きちんとやるべきことはやりますから、ご安心ください」
驚き顔だった教官も言い出したら聞かないリザのことは良く分かっているらしく、諦めたように苦笑いでハングアップのポーズをとって見せた。
「何考えてるか知らんが、しっかりやれよ。銃の扱いだけじゃなく、上司の扱いも上手くならんと出世できんからな」
「ご忠告、感謝します」
ふっと頬の緩んだリザの背を豪快にバンとひとつ平手で叩くと、教官は肩越しにひらひらと手を振りながら立ち去っていった。
 
リザはロイには声を掛けずロッカーに向かった。
手袋をはめ軍服の上着を脱ぎ、愛用の二丁の銃を脇のホルスターに確かめる。
弾丸とカートリッジを用意したリザは、無意識に深呼吸をしてからロイの隣のブースに入った。
隣からは規則正しく爆音が鳴り響く。
 
短照準の練習ブースを使用するのは久しぶりだと思いながらスライドを引き、リザは右手でオートマチックを構え左手を添えた。
タン!
軽く反動を肘に逃がし、弾を撃ち続ける。
タン!
タン!
小気味良いリズムで、的が刻まれる。
 
ホールドオープンした銃を置くと、今度は抜き撃ちでリボルバーを握る。
ハンマーを起こすアクションさえ一瞬に、弾が飛び出す。
ダン! ダン! ダン!
さっきよりは重い衝撃に跳ね上がろうとする手首を鍛えた筋肉で押さえ込む。
弾は正確に的の同じ場所を貫通し、大きな穴が開いている。この距離ならそれはリザにとって、雑作もないことだった。
 
弾を装填しようとすると、隣のブースからの銃声が止んでいた。
横にいるのが恐らくリザだと、ロイが射撃音で気付いたのだろう。
リボルバーとオートマチックを同時に使用するのは、ここ東方司令部ではリザくらいなものだ。
少し間を置いて、また銃声が聞こえ出す。
リザも続けて、正面の的に狙いを定める。
隣り合ったブースに響き合う銃声が二つのパーカッションのようにリズムを生み、銃声が秒針の代わりに時を刻む。
ロイの発していた殺気に近い緊張感が、少しずつ薄まっていく。
 
ただ隣にいること、それだけが自分に出来ることだとリザは思っていた。
哀しみを癒す力など自分にはない、ただ隣にいて彼が一人ではないことを知ってもらえればそれでいい。
そのためにリザは、何時まででもロイの気がすむまでつきあうつもりだった。
 
何故錬金術師であるロイがわざわざ射撃場に来たか、リザには解っていた。
錬金術から己を引き離す為だ、それしか考えられない
銃を向ける的に憎悪と哀しみを発散させ、集中力を持続させ続ける事で思考を停止させ、錬金術から遠ざかるために。
禁忌の術に足を踏み込まぬために。
 
人体練成。
 
愛するものを失った錬金術師が、必ず考えるであろう術。
例えそれが禁忌であろうと彼の人を目の前に取り戻せるなら、手を出さずにいられないのが人間というものだろう。
錬金術師とて、ただの人。その弱さを誰が咎められようか。
ロイが自分でその弱さを押さえ込める人であることを、リザは知っている。
だが、だからこそ、万一その弱さが表出してしまう様なことがあるならば、リザは命がけでもそれを止めねばならなかった。
あの日の約束を守る為にも。
 
ー 私が道を踏み外したら その手で私を撃ち殺せ ー
 
しかも人体錬成の恐ろしさは、数年前にリザは目の当たりしたばかりだったのだから。
ロイと共に、リゼンプールで。
人体錬成で、手足を、身体を失った当時のエルリック兄弟の痛々しい姿がリザの脳裏に浮かぶ。
もしもロイが『それ』を実行したなら彼は何を失うのか。
おぞましい想像が僅かな動揺を生み、弾丸の軌道を歪ませる。
逸れた弾は的の左肩をえぐって抜けた。
 
「珍しいな、君が外すなんて」
「!?」
いつの間に移動してきたのか、ロイが腕組みをしてリザの背後に立っていた。
何事もなかった様な顔をしているが、集中力を使い果たした後の疲労が顔色を悪く見せている。
 
「久しぶりにやったら手首を痛めてしまったよ」
「雨の日の為にも、日頃から真面目に射撃訓練にはいらして頂きたいといつも申し上げておりますが」
「その分も今日やったさ」
「何事にも限度と言うものがあります、怪我をなさっては本末転倒です」
「手厳しいな」
「ご心配申し上げているだけです」
「すまんな、中尉」
眩しそうな顔でリザを見るロイに、リザは思わず目を伏せる。
こんな眼差しのロイを見たくはなかった。
 
そんなリザに構わず、ロイはリザの的に再び目をやる。
「何に気を取られた? 普段ならこの距離で外す君ではあるまい」
「申し訳ありません」
「何が命取りになるか分からんからな。例え何があっても、現場で生き残ることを最優先しろ」
「はい、申し訳ありません」
「私はもう、これ以上失いたくはないんだ」
「大佐……」
淋しげに言葉をなくすロイに、言葉のかけようがなくリザは黙り込む。
二人の間に影の様な沈黙が落ち、少し置いてロイは続けた。
 
「だから、死ぬな。これは命令だ」
「鋭意努力いたします」
「努力じゃなく約束してくれ、死なないでくれ」
「大佐?」
「死なないでくれ」
「……はい」
「頼んだぞ」
「……はい」
 
これではまるで愛の告白のようではないかと、リザはうっすら頬を赤らめる。
ロイ自身には、おそらく自覚はないだろうが。
この言葉が自分だけに向けられた物ではないにしてもこの約束は守り抜こうと、リザは密かに心に誓う。
 
レーゾンデートル、私は貴男の為だけに生きている。
 
 
 Fin.

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【後書きの様なもの】
 長い……書き出しは良かったのですが上手く終わらせられず四苦八苦。射撃場にいる増田が書きたかったのです。ヒューズの死で余裕のない増田を思いやるリザさんは、ある種の母性なのかも。
 ヘタクソですね、すみません。精進します。