05.硝煙

例え道は違っても 硝煙の匂いを纏い 私は貴男の後を追う
 
      *
 
とりあえず今日の教官の報告書には、『リザ・ホークアイ士官学校の実地訓練中に戦闘に巻き込まれ行方不明』と書かれることは間違いない。
自分の名がそこに刻まれるなんて。
私は天を仰いで自分の不運を呪った。
 
イシュヴァールに狙撃手として配置されて、今日でもう二週間。
一昨日、その戦場で思いがけない人との再会があり、私は少し混乱していた。
そんな一瞬の気持ちが命取りになるのが戦場だというのに。
 
しまった! と思った時にはもう遅かった。
爆発の余波で飛散した石の壁が、雪崩れのように落ちてきた。
とっさに左に飛びのくがやっとで、濛々と立ち込める砂塵に包まれ、視界が閉ざされてしまう。
強い衝撃とともに、鈍い痛みが爪先から脳天めがけて駆け上る。
ブラックアウトしそうな意識を懸命に引っ張り上げ、私は砂埃が収まるのを待った。
ひりつくような太陽の下、自分の置かれた状況に私は愕然とするしかなかった。
私の右足は大きな石塊の下敷きになっていた。大の男でも動かせそうに無い大きさだ。
そしてこの痛み。この石の下の足は多分折れているだろう。嫌な汗が背中をなでた。
とりあえず、両手と左足を動かしみる。オッケー、問題は無い。
身体にも擦り傷はあるものの、大きな外傷や打撲は無い。
手元のブローニングの弾奏には残り三発。予備のマガジンは二個。
ライフルは瓦礫の山のどこかに埋まってしまったらしい。
水が二リットル、食料は乾パンが少し。軍の支給の外套が一枚。
そして折れた右足に、重しの石塊。
日陰ではあるが、砂漠の気候だ。あまりにも心許無い装備。
冷静に考えて、かなり絶望的な状況。
 
リザ・ホークアイ士官学校の実地訓練中に戦闘に巻き込まれ行方不明、か」
先ほどの台詞を実際に口に出して言ってみた。
言葉にしてしまうと、それは恐ろしく現実的になってくる。
そう報告されて、帰ってこなかった級友は既に二桁に上っていた。
ふと背筋が寒くなる。
このまま死ぬのか。いや、死ねない。
まだ、学校さえ出ていないのに。まだ、軍人にさえなれていないのに。
とその時、ズンっと近くで爆発音が響いた。
足の上の石が振動で揺れ、激痛が走る。
私はあまりの苦痛に意識を手放した。
 

意識を取り戻した時、日は既に西に傾いていた。
乾燥で唇が割れ、ガサガサになっている。少量の水で口を湿らせて、傍らの壁に寄りかかる。
見つけてもらえるだろうか分からないが、出来るだけ水は長持ちさせなければならない。
銃弾も無駄には出来ない、なるべく敵に見つからないように祈ろう。
少なくとも最後の一発は、最悪の場合に自分の頭を打ち抜くために残しておかなくてはならないのだから。
 
夕闇が地表の熱を奪っていく。砂漠の夜は寒いものなのだ。
折れた足だけが熱を持って脈打っている。
このままここで死ぬのだろうか。
家族の無い事が、こんな時だけは有り難かった。泣く人がいないというのは、憂いが無くていい。
どうせ、あの日から一人で生きて来たのだから、一人で死んでも問題は無い。
ふと、懐かしい、そしてつい最近再会したばかりの黒色の瞳の持ち主が脳裏に浮かんだ。
あの人の役に立ちたくて軍に入るはずだったのに、早々に幕引きなんて莫迦な話だ。
いや、あの人の今を見ても付いて行けるか疑問を持ってもいたのだから、そうでもないのか。
私が死んだら、あの人は泣いてくれるだろうか。
それとも顔色ひとつ変えないだろうか。
不在に気付いてさえもらえないかもしれない、そう思うと不意に目頭が熱くなった。
熱のせいか妙にセンチメンタルで、思考に取り止めが無い。
バカバカしい事ばかり考えてしまう。
こんな時でも夕焼けは美しく暮れていく。
死を意識したからこそ、美しく感じるのかもしれないが。
そして、恐ろしく静かで美しい漆黒の闇が、私を包み込んでいく。
外套を被っても身震いするほどの寒さが、恐ろしい勢いで続いて殴り掛かってくる。
久しぶりに夜に怯えている、まるで子供の様に。
 
やがて、地平線がほのかに白み始めた。夜明けだ。
私はついに一睡もすることなく、寒さに震えて夜を明かした。
かじかんだ指をこすり合わせても、冷えきった手はもう感覚さえ残していない。
今が乾季であることは救いだ、雨に降られたら一気にやられてしまうだろう。
今日。
今日見つけてもらえなければ。
考えたくはないが。
覚悟をしなくては。
 
また日が昇り、気温が上がり始める。
ジリジリと灼ける様な陽射しに、外套を今度は日除けにする。
遠くで爆発音が聞こえる。
ここが戦場である事を思い出す。
戦場で死ぬ、ということには、こんな野垂れ死にの様な無駄な死に方もあるのか。
どうせ死ぬなら戦闘で殺される方がマシ。
喉が渇く。水は後少ししかない。
 
太陽は中天に達し、暑さで意識が朦朧とし始める。
と、突然、耳がバカになるほど大きな爆発音が近くで起った。
高く上がる火柱。焔の柱が立ち上がった。
 
この焔の色。
この色は、見慣れた父の。
 
ということは。
 
夢中で身をよじる。
壁の隙間から外を見る、青い軍服が。
助かる! これで!
安堵で覚束なくなる手元を押さえ、信号弾を込める。
パシュッ!!
白い煙の尾を引いて、今までイシュヴァール人に見つかる事を恐れて使えなかった弾が空へ飛び出して行く。
 
少しの間をおいて、青い軍服の一団がやってきてくれた。
これで死ななくてすむ。
生きていられる。
大きな安堵とともに気が緩み、少し目が潤んでしまった。
これだけ喉が渇いていても、まだ残っている体液があるとは。
 
「所属と名前を。それから、認識票があれば出せ」
痩せた目つきの鋭い男に言われ、私は認識票を手渡し敬礼した。
リザ・ホークアイ士官学校訓練生です」
「ああ、行方不明になってた『鷹の目』か」
いつの間にか戦場でつけられた呼び名が、こんな所まで広まっているとは。
そんな驚きを感じていると、更に驚かされる発言がその言葉に続いた。
「少佐が探しておられたヒヨッコを、こんなところで拾えるとはな」
「少佐?」
ロイ・マスタング少佐だ。うちの隊は、焔の錬金術師の下部部隊なんだ」
ほとんど独り言の呟きに、足の上の石を数人がかりで動かしながら近くの体格のいい男が答えてくれる。
「動かすぞ、いいか」
「クッ!!」
「痛いだろうけど我慢しろ。帰ったら、錬金術師が錬金術であっという間に治してくれる」
「うちの少佐のじゃぁ、こういう時は全く駄目だがな」
爆発音の中、軽口を飛ばしながら、てきぱきと作業を進める彼らに無駄な動きは無い。
「あの、戦闘中なのに、申し訳ありません」
「なに、うちの少佐が先頭きって安全地帯を増やしていってくれてるからな、この辺は大丈夫だ。む、この足じゃ立てそうもないな。リチャード、救護班は?」
「向かってる」
やっと自由になった身体を動かし、焔の立つ方向に目をやればあの人の背中が見える。
ここから見るその背中は多くの部下に守られていて、それは即ちあの人が多くの部下を最前線の脅威から守っている事も意味する。
ここで私を助けてくれている人たちも、あの背中があるからこそ、ここにいてくれる。
ああ、あんなに背中の大きい人だったのだ、マスタングさんは。
守られている、私も。
彼の右手が翻るたびに、懐かしい色に空が染まる。
父が生み出した、私が預けた、あの焔の色に。
近づいてくる救護隊の軍靴の足音を遠くに聞きながら、私は安堵と痛みのため意識を失った。
 
        *
 
やがて、内乱は終わり、私はあの人に背中を焼いてもらった。
あの日、助けてもらった時の思いは別にして、やはり私の中では錬金術の可能性よりも恐ろしさの方が戦場では刻み込まれてしまったのだから、仕方ない。
それでも、助けられたあの日のあの背中は忘れる事は出来なかった。人を護る背中を。
私は背中を託す相手だけは間違わなかったと、それだけは自信をもって言える。
そして、これ以上の相手には巡り会えないだろうから、この背中は永遠に封印する。
力は諸刃の剣、当たり前の事を戦場でただ思い知らされただけだ。
 
私は錬金術師の娘としてではなく、己の意思で己の手を血で染める軍人として生きることを決意した。
私は私として生きる、いつかあの背中を守るために。
私を守ってくれた背中を守るために。
士官学校に戻り、後はがむしゃらに突き進むのみだった。
硝煙の匂いが、私の常の友となった。
 
       *
 
やがて、その日が。
 
リザ・ホークアイです」
「イシュヴァールであんな思いをしたのに 結局この道を選んだか」
 
「はい。自分で選び自分の意志で軍服に袖を通しました」
 
 
 Fin.
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【後書きの様なもの】
 イシュヴァールねつ造アイロイ、ロイ出番なさ過ぎ、すみません。ラストは8月号の84ページのシーンです。
 こういう秘めたる思いみたいなのが好きです。甘くない、でも心の拠り所の様な関係と言うか、お互い心の何処かに気にかけていてお互い守りたがっているような。
 これ、ロイサイドのお話も書けたら書きたいです。