01.優しい人

一瞬の乾いた音が、一つの命を奪う
それが、戦場
 
*
 
「全く、ハクロ将軍もやってくれるね」
ロイ・マスタング大佐は、自分の留守中に起こったテロ事件の報告書に目を通しながら苦笑した。
「尉官クラスの者に指揮を執らせるなんて、下手をすれば軍規に触れるスレスレの事を、よくもまぁ」
「自分で点数を稼ぐより、人の足を引っ張るのがご趣味の様ッスからね」
報告書を提出した本人、ハボック少尉がニヤリと笑って答えた。
「我らが中尉殿はきっちり『付け入る隙も与えず』でしたから、御愁傷様なんすけど」
「当たり前だ。いつも私の華麗なる用兵を傍で見ているのだからな」
「へぇへぇ」
軽く流されて眉間に皺を寄せるロイを気にせず、ハボックは続けた。
 
「いやしかし、ブレダも上手くフォローしていましたし、上手く読み通りのルートに奴らがはまり込んでくれましたから、俺らも点数稼げましたよ」
「しかし、うちの部隊から死亡者が出たと聞いているが」
「……あれは運が悪かったンすよ。まさか半身機械鎧(オートメール)の化けもんがメンバーにいたなんて、予想外でしたからね。俺でさえ目前に立たれた時はビビったくらいッスから」
「ああ、お前の隊の者だったのか、すまん」
報告書を確認して、ロイの表情が曇る。
士官学校出たてのヒヨッコが、ブルってパニック起こしちまいやがったんですよ。俺の手の届く範囲に置いときゃぁ良かったンですが」
「軍に在籍する限りは仕方の無い事だがな。明日は我が身かもしれんのだからな」
「我が身の方が楽かもしれねぇっすよ」
苦く笑ってハボックは、空を見上げ紫煙を吐き出した。
一瞬虚をつかれた表情をしてロイは、ハボックを真剣な顔で睨みつけた。
莫迦者! 勝手に死ぬ事は許さんぞ!!」
「おー、怖。大佐だってすぐに現場に出て来ちまって、人の事言えないじゃないっスか」
いつもの調子で茶化しながら退散するハボックを見送り、ロイはなかなか戻って来ない副官の事が気になっていた。
自分が指揮を執った作戦で殉職が出る辛さを、ロイは厭というほどその身で体験してきていたのだから。
 
       *
 
リザ・ホークアイ中尉は自分が応接室に呼ばれた理由を、部屋に入った瞬間に理解した。
部屋で待っていたのは泣き腫らした目をした一人の中年の女性だった。その顔に機械鎧オートメイル)の前に半狂乱で飛び出して行った若者の顔がオーバーラップする。
退役軍人局の人間が申し訳なさそうに、その女性のリザに対する用件を告げる。
あの日の指揮官として、息子の最期を聞かせて欲しいと。
 
リザは頭の中のファイルをめくった。
表向き、彼は果敢に戦いテロリストを一人射殺した事になっている。
実際にテロリストを殺ったのはハボックで、ハボックは自分の手柄を死んだ部下に譲ってやったのだった。
リザはなるべく報告書の内容と表向きの話を矛盾しない様にまとめあげ、淡々と彼の死を語った。
実際がどうであれ、これは母親が子供の死を受け入れる為の儀式なのだろうと思いながら。
語り終えたリザに母親は言った。
「貴女は本来の指揮官ではないそうですね」
「はい、私の本来のポジションは副官でありますので」
「つまり、通常では有り得ない不完全な状態の作戦で、息子は死ななければならなかった訳ですね?」
隣で退役軍人局のスタッフが顔色を変えた。明らかに母親はリザを糾弾にかかっている。
しかしリザは彼を制し、黙って次の言葉を待った。
「息子はマスタング大佐の下で働けると喜んでいたのです。なのに貴方みたいな女性が上司にいたばっかりに……」
リザは目を閉じた。彼女は息子の死が受け入れられないのだ。
目の前にある何かを憎まなければ、心の均衡を保てず壊れてしまうのだろう。
受け止めるのも私の勤め、か。
そう覚悟し、リザは眼を開いた。
 
「そう思いたいのでしたら、そう思っていただいて結構です」
しっかりと眼を合わせ、あくまでも冷静にリザは言い放つ。
無駄に言い訳をしても、何を言っても母親の中のわだかまりは消えない。
なら、いっそ何も言わないほうが良い。それに、自分のせいではないと言い切れないのだから。
「謝罪の言葉ならまだしも、開き直るんですか!」
母親の中の何かが切れた。
感情が噴出する糸口を掴んだようだった。
ボロボロと涙をこぼしながら母親はリザを罵倒する。口汚く罵りの言葉を吐き、息子の不運を嘆き、退役軍人局のスタッフに抑えられる母親を、リザはただ見つめていた。
人殺しと罵られるのは久しぶりだと小さな痛みをこらえ、ただただ嵐の過ぎるのを待ちながら。
やがて、力尽きたようにうな垂れる母親は退役軍人局のスタッフに肩を抱きかかえられるようにして、応接室を出て行った。スタッフは申し訳なさ気にリザに敬礼した。
リザも立ち上がり、2人の後姿に敬礼を返した。
 
       *
 
誰も居なくなった応接室で、リザは崩れるようにソファに座り込んだ。
まだやらなければならない事は沢山残っている、大佐がサボっているかもしれない、早く仕事に戻らなければ。
頭ではわかっているのに、身体が言う事をきかない。
あの事件で指揮を執ってから事後の処理や報告に追われて、まともに休んでいない。
肉体が弱っているところに、心にとどめを刺されたようだ。
いくらバリケードを築いていても、痛い言葉はその隙間からジワジワと染み込んでくる。
確かに、私がハボック少尉の部隊をあの場所に配置したのだ。
Cブロックにいたならば、あの若者は死ななかっただろう。
ミスではない、とは思う。
が、他の可能性もあった。
それを選ばなかったのは、自分なのだ。責められても仕方ない。
 
ふっと大きく息を吐き出したその時、ポンとリザの頭の上に誰かの手が載せられた。
驚いて振り向こうとすると、その手はリザの頭をそのまま押さえつけ無造作にクシャクシャと髪を撫でまわす。
こんなことをする人間は、ここには1人しかいない。
思い描いた人の思いもかけない優しい声が、頭の上から降ってくる。
莫迦者、何を悪い軍人の振りをしている? ホークアイ中尉」
こんな優しい声で莫迦と呼ばれたら、困ってしまうのに。
判ってやっているのだろうか、この人は。
少し悔しく思って、リザはわざと振り向かずに答えた。
 
「大佐、いつから聞いていらしたのですか?」
「む、『不完全な作戦で』の辺りからかな」
「立ち聞きとは趣味がよろしくありませんね」
「ははは。許せ。持って生まれたものは、今更変えられん」
そう話しながらも、ロイの手はリザの頭を優しく撫で続けている。
リザはぼんやりとされるがままになっていた。
 
頭の上から聞こえるロイの声が、少し真面目な口調に変わる。
「すまなかった。私の留守が中尉に負担を強いる結果になってしまった」
「いえ、結局ブレダ少尉やハボック少尉の働きがあったからこそ、事件も上手く解決しました。私は何もしていません」
「こうしてきちんと自分の指揮の責任を取っているじゃないか」
「結局怒らせてしまっただけです」
「わざわざ憎まれ役を演ってやるとは、中尉も優しいな」
「そんなことはありません」
 
ふっとロイが笑った気配がした。
「いや、優しい人だよ、君は。ねぇ、リザ?」
 
リザ。
そう名前を呼ばれた瞬間、リザの両頬を涙が音もなく伝った。
リザのずっと張りつめていた心のバリケードそのものを、優しい言葉は軽々と破ってしまったようだ。
後から後から溢れる雫は静かに青い軍服に吸い込まれ、小さな染みを作っていく。
 
ああ、全くこの人には敵わない。
リザは自分自身の涙に戸惑いながら、目を閉じて自分の髪をくちゃくちゃにする大きな手に心も委ねた。
後もう少し、もう少しだけ。
そうしたら、また歩き出せるから。
 
 Fin.
 
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【後書きのようなもの】
 「06.上官命令」の後日譚です。ロイもハボックもリザもきちんと人の死を傷む事の出来る軍人だと思っています。そんな話のつもりです。上司と部下以上、恋人未満くらいでしょうかねぇ。
 ハクロ将軍が上にいるのは、話の設定上のねつ造です。グラマン将軍では、成り立ちませんので。(汗)